アンコンシャスバイアス@コラム003

最近よくアンコンシャスバイアスという言葉を聞きますよね。

 

(一社)アンコンシャスバイアス研究所のHP情報によると、アンコンシャスバイアスについて以下の説明がされています。

 

アンコンシャスバイアスとは、「無意識の偏ったモノの見方」のこと。

日本語では、「無意識の思い込み」「無意識バイアス」「無意識の偏見」など、様々に表現されています。

 

今回のコラムはアンコンシャスバイアスについて、今現在の率直な私の気持ちについて書いてみたいと思います。

 

突然ですが、当HPの作者である私は男性だと思ったでしょうか?あるいは、女性だと思ったでしょうか?

 

私の記事の内容や文章表現などから男性だと思った、あるいは、女性だと感じたなど、様々な受け止めがあろうかと思います。それが、例えば、「労働衛生コンサルタントってほとんど男性だから、当然、男性でしょ」っと思ったとします。だとしたら、それもアンコンシャスバイアス、つまり、無意識の思い込みによるものだと言うことです。

 

いきなり余談ですが、今の時代はジェンダーの考え方が多様になっていますよね。男性、女性というのは生物学的な性の分け方であり、それとは別に、自己意識としての男性、女性などもありますから。性に対しても多様性を受け入れなければならないのです。

 

さて、本題に戻しましょう。

 

アンコンシャスバイアスについて今回書いてみようと思ったきっかけは、会社で研修を受けたからです。その時に感じたのは「アンコンシャスバイアスって正直難しいよね〜」と思いました。何が難しいなと感じたかと言うと、「経験則でモノを見ることもアンコンシャスバイアス」になるということだからです。

 

これまでそこそこの年数生きてきて自らに育まれた意識や経験則を捨てろ、それは無意味なんだよ、と言われた気がしています。特に経験則で感じることすら「アンコンシャスバイアスです」と言われれると、辛いな~と感じます。

 

もう少し突っ込んで書くと、男性中心の会社の中に身を投じてから、生まれた赤ちゃんが成人する以上の年月が経ちますが、その中でお馬鹿な私なりに経験して体得してきたものや感覚というものがあります。

 

上司、同僚、部下との関係から会社人として生きてきた経験や、学会活動、公的機関との関わりなど会社外での活動から得た経験や見聞などもあります。また、ご近所さんや、子を持つ親同士、同じ趣味を持つ者同士や、友人など、社会との関わりの中から社会人としての経験も人並みに積んできたと思っています。

 

でもでも、そんな経験則に基づいたモノの見方も「アンコンシャスバイアスです」と一刀両断にされるのです。では、何を頼りに見たり、判断していけばよいのでしょうか。

 

例えば、部下から「采々さん、今言われたことはあなたの経験則でしょう。それってアンコンシャスバイアスじゃないですか。」と言われると辛いですよね~、お馬鹿な私だけかもしれませんが・・・。なんだか、言いたいことも今まで以上に相当に気を使って言わないといけない感じがして(勿論今でも気をつけてはいるつもりなのですが・・・)、ただでさえ、マスクをして息苦しいのに、もっと息苦しくなるような気がしています。

 

経験則のことばかり書きましたが、アンコンシャスバイアスを通じて、お馬鹿な私なりに感じたことは、今の時代はフラットなんだよ~、と言われているような気がしているのです。つまり、上司だから偉い、若手だから大したことない、なんて旧態依然のような感じで思ってはダメなんですよ。しっかり、その人本人を見てあげないといけない訳です。これらは、多様性を認め合う時代になったことも背景にあるような気がしました。

 

このような変化や価値観についていけないと、つまり、時代に自分自身をフィットさせていかないといけない訳ですよね。それは分かるのですが、もう少し冷静に「アンコンシャスバイアスってそういうことかもしれないけど、それは本当に良くないことなのっ?」「それで組織や社会が本当に良くなるのかな?」「皆は幸せになれるのかしら?」と思う部分もありまして、もう少し先まで世間動向を見てみたいと思っています。

 

全くまとまりのない内容となってしまいましたが、これが今現在のアンコンシャスバイアスについての私の率直な気持ちなのです。

 

(あ〜分かってないなこの人というご批判もあるかもしれませんが、あくまで個人の感想なのでお許し下さいませ)

 

 

 

 

 

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