最新更新日:2023年 5月 1日
目次
1.はじめに
労働衛生コンサルタント試験に合格した後の私の歩みを1年単位でまとめたものを「労働衛生コンサルタント試験合格後@20??」として紹介しています。2021年の歩みをまとめた「労働衛生コンサルタント試験合格後@2021」が以降の記事になります。
これは自分のための備忘録のようなものですが、特に隠すようなことでもないため、このHPのオープンソースの精神に則り公開します。勿論、大人の事情で隠すべきところはしっかり隠しておりますのであしからず。
2.「労働衛生コンサルタント試験合格後@2021」の読み方
「労働衛生コンサルタント試験合格後@2021」の読み方を記します。
以降にまとめた「労働衛生コンサルタント試験合格後@2021」と「労働衛生コンサルタント合格後」カテゴリーのブログ記事との関係は以下の通りです。
- 「労働衛生コンサルタント合格後」カテゴリーのブログ記事(001~023)は、2021年3月から12月の歩みの中で個別の事象についてその時々に記載したものです。
- 一方、それら個別のブログ記事を記載するに至った背景も含め、2021年3月から12月の歩みをまとめて記したものが「労働衛生コンサルタント試験合格後@2021」です。
- 「労働衛生コンサルタント合格後」カテゴリーのブログ記事が「点」で、「労働衛生コンサルタント試験合格後@2021」が「線」となります。2021年3月から12月までの「線」の上に「点」があるイメージです。
「労働衛生コンサルタント試験合格後@2021」は概ね時系列に沿って記載しております。また、その時々の「労働衛生コンサルタント合格後」カテゴリーのブログ記事(001~023)が参照できるように文中にリンクをつけています。
これらを踏まえ、以下に示す事項を踏まえてお読みいただければ、より内容の理解が進むと思います。
- はじめてお読みになる方は「労働衛生コンサルタント試験合格後@2021」をそのまま冒頭から最後までお読み下さい。労働衛生コンサルタントになったわたくし采々が、近い将来、営利コンサルタントを目指すためにどんなことを日夜思いながら過ごしていたのかの空気感が自然とイメージできるようになっています。
これをご覧いただくと、「何考えているの、このお馬鹿!!」って思ったり、「私なら違うやり方をするけどな~」と思ったり、ひょっとしたら「なるほど!」と共感していただける部分があるかもしれません。
特にコンサルタント試験に合格されて「次はどうしようかな?」と思っておられる方には参考になるかもしれません。
- ご一読後にご興味ある部分があれば、文中の「労働衛生コンサルタント合格後」カテゴリーの該当ブログ記事(001~022)のリンクをポチっと押していただくことで、該当記事をご覧いただくことができ、さらに細かいことが分かるようになっております。
3.「労働衛生コンサルタント試験合格後@2021」
2021年1月~3月
いきなり脱線です。ここまで再三「2021年3月に労働衛生コンサルタント試験に合格後の2021年の私の歩みをまとめたもの」と「3月以降の内容であること」を強調してきたのですが、2021年1月の口述試験から3月の合格発表までの過ごし方に少しだけ触れておきます。
この間は、当HPのメインコンテンツである合格体験記を執筆しておりました。詳細は、2022年2月11日付けブログ記事「労働衛生コンサルタント(労働衛生工学)合格体験記/執筆裏話 02 & 祝ブログ記事200回突破記念」に記載しておりますので、ご参照下さい。
2021年3月
■出来事
・労働衛生コンサルタント合格証到着
・労働衛生コンサルタント登録手続き➡登録証到着
令和2年度の労働衛生コンサルタント試験(労働衛生工学)を受験し、2021年3月22日にHPで合格発表がなされ、その数日後に厚生労働省から合格証が届きました。
合格証を受け取ったときの感想は、「あ~無事合格したんだなあ」という安堵感でした。HPによる公表は速報のようなものだと思っていましたので、合格証が届いたことで本当に合格したんだという実感が湧いたのです。
なんと言っても、この合格を目標に2019年秋から第2種作業環境測定士試験に続き、労働衛生コンサルタント試験と約1年半弱頑張ってきたのですから。
ただ、この感慨に浸っていたのも、ほんのつかの間でした。かねてより計画していたとおり、その後に向けて早速行動に移ることにしました。
何故行動に移したかというと、合格は単なる通過点だと分かっていたからです。それは、コンサルタント試験の口述試験勉強をしている途中から強く意識したことでした。
合格は勿論したいけど、合格したからといってコンサルタントとして生きていける保証なんてないのだと。私が他のコンサルタントより秀でていることがクライアントから何度もリピートしてもらうための必須条件なのだと。例えそうなったとしても、コンサルタントだけで生きていけるほど甘い訳がないと思っていたからです。
ただ、何をしたらよいのかこの時点ではあまり具体的には描けていなかったのも事実です。まずは、コンサルタントとしてのスタート地点に着くべく、「厚生労働省への労働衛生コンサルタントとしての登録➡労働安全衛生コンサルタント会への入会手続き」をすることにしました。
コンサルタントとしての登録をしないとコンサルタントの名称を用いた業をすることができません。ですから、まずはその状態を作ることにしました。
その手続きについては、合格証と共に登録に必要な書類が送付されてきたので特に困ることなく実施することができました。唯一少しだけ悩んだのは、事業所名の名称をどうするかです。登録はしたいけどすぐに開業予定は無いという方は皆さん悩まれるようです。
そのことを見越したように手続き書類にも「氏名の後に続けて労働衛生コンサルタント事務所と書かれていることが多い」というフレーズがありました。そこで、その例の通り、「●●労働衛生コンサルタント事務所」として登録することにしました。後で事業所名の変更をすることが可能なことも分かったので、もし開業することになったら変えたらいいのね、ということです。
そして、約2週間後に登録証が届いたときは、これで独立してコンサルタントとしてやっていくスタート地点に立ったなと思い、感慨ひとしおでした。そして、これから頑張らねばと気が引き締まりました。
2021年4月
■出来事
・ハーミニア・イバーラ女史の本に影響を受けまずは行動する 労働衛生コンサルタント合格後 002~003
・コンサル会入会 労働衛生コンサルタント合格後 004
・行動する 労働衛生コンサルタント合格後005
・産業衛生学会入会
・HP立ち上げ
次のアクションとして、労働安全衛生コンサルタント会への入会を進めることにしました。入会にはコンサルタントとして登録していることが前提のようでしたので(後で分かったのは必ずしもそうではなかったのですが、登録してから入会した方が良いと思います)、先に厚労省への登録手続きをしたのです。これにも手続きから正式な入会の連絡をもらうまでに2週間程度の時間がかかりました。
続いて、産業衛生学会への入会手続きも済ませました。これもあらかじめ決めていた合格後の行動の一つです。
この時点で、この業界の最新情報を入手するための最低限の情報ソースとして労働安全衛生コンサルタント会と産業衛生学会を確保しました。
このようにまずは動くようにしたのは、口述試験後に読んだ「ハーバード流キャリア・チェンジ術」(ハーミニア・イバーラ著)の本の影響を強く受けています。この本はキャリアチェンジをしようとしている人をターゲットとして本でして、まずは行動することの大切さ説いています。
この本を読んだきっかけは、私の愛著「LifeShift」でリンダがイバーラの本の一節として「まずは行動すること」の大切さを説いていたからです。
そして、この本を読もうと思ったもう一つの理由は、コンサルタント試験に仮に合格していてもその後の方向性をどのように決めるのかの方法論のようなものを私の中に持ち合わせていなかったことがあります。
この分野の二人の著名な先生の唱える「まずは行動すること」に共感できたので、まずは実践しようと思いました。何かの行動を起こす時に、従来の私は計画優先でした。それをイバーラ女史は先に動けと言うのです。ですから、その教えに従って進むことにしたのです。
以降、私の基本的な考え方は「まずは行動すること」に変わりました。
これらの動きと並行して進めていたのはHPの開設です。
少し遡りますが、2021年1月の労働衛生コンサルタント試験の口述試験を終えた後、私は受験に至る動機から口述試験受験、そして、合否の発表までを含めた合格体験記の執筆を始めました。
そのほとんどを2021年3月22日の合格発表前に書き終えていました。その合否に関係なく、この合格体験記はHPを開設して公表しようと決めていたのですが、不合格者の体験記には誰も見向きをしないだろうなと思ったので、やっぱり合格できて良かったです。
そして2021年4月にこのHPを立ち上げました。労働衛生コンサルタント試験受験応援として合格体験記をメインコンテンツとしながら、私が続けている学びの一端をアウトプットする場としました。
2021年5月
■出来事
・動けていない 労働衛生コンサルタント合格後 006
・少し動いてみよう&ステークとワーク 労働衛生コンサルタント合格後007
・今後の生き方の模索 労働衛生コンサルタント合格後007(上記と番号重複ですが内容は別)
しかし、2021年5月、なかなか動けない自分がそこにいました。この時期、本業の仕事が多忙を極めており、GWもろくにお休みがとれない状態でした。そのことを理由にはしたくないのですが、合格後の動きが一段落したこともあり、次をどうするのかがまだ定まっていない時期でもあったのです。
こういう状態は私の精神衛生上あまり良いとは言えません。何かしら動いている、進んでいる、アウトプットできている、知的生産を進めている、という状態が精神衛生上、私にとって好ましいのですが、それがストップしていた時期だったと思います。
勿論、こういう時期があるのもしっかり受け止めないといけませんから、反省としては、こういうときにこそ試せる小さなことを日頃から思い描いておくことが大事かなと思いました。
2021年6月
■出来事
・労働安全衛生コンサルタント会支部総会参加 労働衛生コンサルタント合格後 008
・副業検討➡ダメ 労働衛生コンサルタント合格後 009
そうした悶々とした日々を続けながら、何かきっかけが掴めるかもと思い、2021年6月には労働安全衛生コンサルタント会の支部総会に初めて参加しました。ここで、支部の先輩コンサルタントと初めて会うことができました。というより、労働安全衛生コンサルタントと普通に会話した初めての機会でした(これまで私の周りには同コンサルタントは誰一人いなかったのです)。
総会とそれに続く研修会は約3時半のスケジュールでしたが、先輩コンサルタントの話を聞いてかなり刺激を受けました。特に刺激だったことは、実際にコンサルタント業一本で働いている方の参加率が高く、その方々の話を直に聞けたことです。
また、別の意味での刺激も受けました。それは、研修会でのことです。ちょうどある省令が改正された後でしたので、それに関する報告がされたのです。私はその法令のことをウォッチしていたので十分話題についていけていたのですが、横の席に座っておられた先輩安全衛生コンサルタントの方から「何のことを言っているか分からんやろうけど、しっかり聞いておいた方がいいですよ」という趣旨のことをニコニコしながら言われたのです。
「そうか、新人コンサルタントはこんな風に見られているのか」と思いつつ(私がお馬鹿なのを既に見透かされていたのかもしれないけど何故バレたのかな・・・?)、少し悔しい思いをした一方で、これだったら何とかなるかもと根拠なく直感で思ったのも事実です。
これらの刺激を大事にしたいと思いながら、次はどの行動に繋げられるのだろうか?と考えた結果、「副業でコンサルタント業をする」と思い至るのに時間はかかりませんでした。
理由は明快です。いきなりコンサルタントとして独立するのは経済的な面であまりにもリスクが大きいですし、地盤もカバンも看板も持たない者が、いきなり飛び込んでできるほど甘い世界ではないと思ったからです。一方、先輩コンサルタントからの一言を受け、何とかなるかもと思った気持ちを試したいとも思ったのです。
ですから、この世界でやっていけるのかを副業という形で試すことにしたのです。小さなことを実験的に試しながら進む、これもイバーラ女史の教えの一つです。
社業に影響を及ぼさず副業としてできるのか?という疑問もありましたが、すでに公私の境目なく平日も休日も関係なく、労働衛生にまっしぐらに進む毎日を送っていたので、何とでもなる!!という強い気持ちがあり、迷わず前に進むことを決意しました。
ただ、勤め先の会社で副業できるのかについての知識がない自分がいました。これまでは副業なんて考えたことなかったからです。最近は入社時に副業禁止だと伝えているということは薄々知っていたのですが、改めて社員就業規定を読んだところ、少し曖昧な書き方をしているなと思ったのです。これなら交渉の余地はあるなと思いました。
そして、副業について会社の了解を得るため、会社に相談することにしたのです。
然るべき担当部署の方に直に会って意向を伝えました。相手の方からは、理由の如何を問わず難しいと思うが一応確認する、ということになりました。その後、回答を得るのに約2週間かかりました。会社からは副業は原則禁止との回答を得ました。そして、念のため、その理由を問いただすことと、いくつかの条件を提示して交渉しましたが、答えは変わらず「ダメよ」とのことでした。
予想通りでした。
残念でしたが、この時、相手の回答から副業の意味するところが営利目的の活動とあったので、営利目的以外のコンサルタント活動の実施については許可をもぎ取りました(「もぎ取る」という表現から、この時の私の心情を察して下さいませ・・・。ただ、自分でこう言っておきながら、この時は営利目的外のコンサルタント活動ってあるの???と疑問符が頭の中を巡っていましたが、柄にもなくお馬鹿な私は少し意地になっていたのでしょうね)。
ただ、営利目的外の活動の許可は得られても、本丸である営利目的の副業がダメよということについては、やはりコンサルタント活動の幅が思いっきり狭くなることを意味しており、副業で試そうと思っていた私にとって痛手となりました。
会社の副業禁止の回答の中にはツッコミどころがいくつもあったのは事実です。それを突くこともできたのですが、それをやったところで結論は覆らないと思いましたし、そんなことをしても遺恨を残すことになると思ったので、今回は、一旦引くことにしたのです。
副業禁止の回答は予想通りだったのですが、残念だったのはその理由でした。その回答の内容を見た時に、正直、今の時代に逆行しているなと率直に感じました。一般的に、副業を導入しない会社の理屈とは人材流出阻止と副業制度導入に伴うコスト増、管理マンパワーの増加にほぼ集約されます。私も一会社人を長年続けてきましたから、会社の論理は理解できますよ。
厚労省は人生100年時代を踏まえ、2020年に「副業・兼業の促進に関するガイドライン」を発出しました。これはより柔軟な働き方の導入整備を企業に促すものですが、副業禁止はこれと逆行しています。
2020年頭からコロナ禍になり、より柔軟な働き方にシフトする動きが世の中に出始めていた頃でもありましたから、「副業禁止です!!」と正々堂々と言っている会社はごく近いうちに時代に乗り遅れ、ステークホルダーから見放され、全く魅力の無い会社になってしまい、これからを担うZ世代にも相手にされなくなり、いずれ淘汰されると感じました。
このことを受けた結果、私の胸先三寸で会社とサヨナラしても良いとの考えに至り、心の中で会社に見切りをつけた瞬間でした。勿論、だからと言って急に会社を辞める訳ではありません。何時会社を辞めてもよいという思いに至ったということです。これは、私の会社人生の中ではとてもとても大きい出来事でした。
いずれ、独立してコンサルタント業をするつもりですから、ある面では早めにこの心境になれて良かったと言えます。
ただ、いくら「まずは行動すること」と言っても、実際にキャリアチェンジするにはいくつか前提があります。何も試さず、何も成功していないのに、いきなり会社を辞めるのは単なる無謀です。
ですから、心の中で会社に見切りはつけましたが、会社にしばらく留まりながら、できることを試しながら機会を待つ道を選ぶことにしました。
コラム① 3ステージが当たり前だった時代から複数ステージの人生への移行
私が新卒で会社に入ったのは約30年前です。当時の会社人生の一般的な考え方は新卒で入社したら定年まで勤めあげ、その後は老後を送るという3ステージの人生を基本としたものでした。その後、厚生年金の受給開始年齢の引き上げと会社の定年年齢とのミスマッチ(現在、形だけは解消されていますが・・・)などにより、ベテラン層の会社員は先行きに不安を覚えながら、定年後も働く道を模索する動きが出てきているというのが、今日の日本の姿かと思います。しかしながら、基本的には3ステージの人生を送るという考え方は日本では根強く残っており、今も基本的には変わっていないと感じています。
かくゆう私も入社するときには、そんなに先のことまではっきりと人生を描けていなかったのですが、転職するとか、全く別の道に進むとか、そういう考えはなく、この会社と共に人生が進んでいくのだなと漠然と思っていたと思います。
そして、定年後のことが気になり始めたのは40代中盤ぐらいからだったと思います。そんな時に出会ったのが、「LIFESHIFT」(リンダ・グラットン著)でした。
その後は、3ステージではなく、マルチステージの人生へ移行していくように思考を転換しました。その後のことは私の人生ストーリーに記載の通りですので、そちらをご参照いただければと思います。
副業でコンサルタント業を試すことができなくなったのですが、コンサルタントとして精進するために何ができるかな~と前向きに考えました。その結果、「会社の中を、コンサルティングを試す場として有効に使おう」と考えました。つまり、日々の業務をこなす上で、何をするにも「目の前の状況を改善・指導するために試す姿勢、コンサルティングをするイメージで臨む」ことにしたのです。
このことは、副業でコンサルタント業を試すことよりも、ハードルが下がってやりやすいというメリットがあります。また、私が間接部門で働いている関係上、社内では毎日、多い時には一日10件以上他部署の面々から相談を受ける立場にあります。相談を受けると言うことは、相手は困っているのです。困っている相手を助けるには「コンサルティングをすれば良い!!」となる訳です。
仕事の内容は従来と何ら変わらないのですが、仕事に取り組む姿勢を「コンサルタントになったつもりになって常にコンサルティングをする」ように完全に変えてみるということです。立場を利用してできることに目を付けて実行することにしました。
そして、単に「コンサルティングをする」と言ってもそれが姿勢だけでは意味がないので、結果の基準を設定しました。その基準とは「相談した相手が納得して帰っていく。そして、その人に良い風が吹く」という、これまた定量的でない基準を設けました。相談の内容は区々なので、全て同じ基準で判定するならば、こういうことになってしまうということです。
実は、コンサルタント資格を得たことを知っているのは会社の中ではごく少数に限られます。合格体験記では試験を受験することを公言していたと書きました。これは事実なのですが、実際には諸事情により受験したことと、合格したことを知っているのは会社の中でごくごく少数の方だけなのです。これは諸々の事情からとだけ申し上げておきます。
ですから、社内でコンサルティングする気持ちでやると言っても、私がコンサルタントであることを公にして活動したのではなく、あくまで私が勝手に内心そう思ってやっているというだけの話です。私がコンサルタントであることを知っていて相談に来る人はいないので、当然、コンサルティングをされているとお相手も思っていません。
また、コンサルティングをする際には大胆なことも積極的に試すようにしました。これは、心の中で会社に見切りをつけたことと関係があります。つまり、失っても困るものが極端に減ったので大胆になったということです。
会社や組織に居続けるには、結果を残すことも大事ですが、失敗しないことも大事です。失敗しないためには手堅くなります。手堅くなると冒険ができません。冒険ができないと変革ができません。変革ができないと仕事のやり方も、引いては会社も組織も何も変わりません(変化しないということは減退していっているという人もいますよね)。
しかし、心の中で会社に見切りをつけると、失敗を恐れなくなり、気が楽になります。気が楽になると、これまで失敗を恐れて試せなかったことがどんどん試せるようになります。その中には改革、変革に繋がるものもあれば、仕事のやり方、周囲の凝り固まった考えを一変させるようなアイデア、冒険も含まれます。
それらを試した結果、それが良い方向に行けば自分にとっても、組織にとって利益となる訳です。勿論、会社内でのことなので、試すと言ってもあまりにもリスキーなことはしませんし、心の中で会社に見切りをつけたと言っても、無責任になったというのとは全く違います。誤解のないように。
コラム② 試した結果、自分にとっても良いことが!!
従来の私は、試すとなると計画を綿密に立てていました。内容にもよりますが、かなり時間がかかったものもあります。それが会社に見切りをつけてからは、すぐに試すようになりました。思いついたらすぐ試して、すぐに効果をチェックして、それをアクションに繋げていく、つまり、PDCAの回転速度がかなり速くなったのです。
例えば、それまで温めていたアイデアをすぐに実行に移すことや、ひらめきで思いついたことでもどんどん試すのです。
試した結果、先に記載した「相談した相手が納得して帰っていく。そして、その人に良い風が吹く」という結果の判断基準に照らし合わせ、良い方向にいったと判断できたらそれをさらに推進しますし、手ごたえが無いなと判断したら、手を変え、品を変えして、次を試してまた効果を測るという繰り返しを常にするようにしました。
このすぐに試すということは、前出の「ハーバード流 キャリア・チェンジ術」(ハーミニア・イバーラ著)の「ますは行動すること」の影響も受けています。
このように「社内で何をするにも試す姿勢、コンサルティングをするイメージで臨む、そして失敗を恐れない」という発想の転換をして、結果として成果や実績が得られてくると、それまでの単色だった仕事が、急に色鮮やかになったように感じられました♪
将来やりたいコンサルタント業に似たことを自分のホームグラウンドである会社内で自由気ままに試せていると思えるようになり、前にも増して日々の仕事が充実したものになりました。
このようにできた一番の要因は何かというと、実は、発想の転換をしたからでも、会社に見切りをつけたことでもないと思っています。それは、労働衛生コンサルタントという資格を持っているという自信だと自己分析しています。
世間一般でこの資格にどれほどの威力があるかというとさほどでもないというのが私の正直な感想です(これからコンサルタント試験に臨もうとしている方は「えっ、そうなの⤵」と少し残念に思うかもしれませんが・・・)。医師や弁護士のような名称独占資格とは異なりますし、我々コンサルタントがクライアントと考える企業内での知名度、認知度は現実にはとても低いと思います。
では、何がこの資格を持っている私の自信に繋がっているかというと、労働衛生の専門家という自負だと感じています。
少し余談ですが、専門家の定義は広辞苑無料検索によると「ある学問分野や事柄などを専門に研究・担当し、それに精通している人」と謡われています。その定義に従うならば、労働衛生に関してはその有資格者というのが一番分かりやすいのです。労働衛生には国家資格がありますから。その資格の衛生管理者や衛生工学衛生管理者よりもさらに上位にあたるのが労働衛生コンサルタントです。
つまり、「労働衛生コンサルタント=労働衛生の専門家」という分かりやすい図式の中、有資格者の知名度がいくら低くても、この道について国家が専門家の太鼓判を押してくれているのです。
事実、厚労省のHPには労働衛生コンサルタントの説明として以下の表記があります。
労働安全コンサルタント・労働衛生コンサルタントは、厚生労働大臣が認めた労働安全・労働衛生のスペシャリストとして、労働者の安全衛生水準の向上のため、事業場の診断・指導を行う国家資格(士業)です。
誤解を恐れずに言うと、私の周りには労働衛生の専門家と呼べる人がこれまで居ませんでした。勿論、衛生管理者は居ますし、労働安全衛生の専門スタッフも居ます。しかし、私から見て専門家と言える人はいなかったのです。それは有資格者云々というより、労働衛生をきちんと理解している人が居ないということです。
そのことに気付いたのは、労働衛生コンサルタント資格取得後です。それまで専門家だと思っていた人が、資格取得後の私から見るとそうでもなかったと思えるようになったのです。それは、私が労働衛生の専門家になったから感じたことです。
この労働衛生の専門家の自負が、労働衛生分野では威力を発揮しますし、それ以外の私が所掌している範囲の他の業務でも同様に威力を発揮したと思っています。
もう少し端的に言うなら「自分に自信がついた」ということなのだろうと解釈しています。
このような思いの下、副業ができない中で、社内で密かにコンサルティングを試しながら、雑多な業務をこなしているというのが、今の私なのです。
このように「社内で何をするにも試す姿勢、コンサルティングをするイメージで臨む、そして失敗を恐れない」という発想の転換、心境に変わって社内では一定の成功を収めたと密かに自己分析していました。そして、そのことを社外に対して試す機会がそれ以降何度も訪れています。
特に、私のコンサルタントとしての能力を試す試金石となる場が2021年は2回ありました。
事情により詳細は書けませんが、ちょうどこの時期(2021年6月)にあったその1回目の機会について簡単に申し上げます。
外部のそれなりの機関のそれなりのお立場の方が私の事業所に来られたのでその方のお相手をしたということです。ちなみにお相手の外部機関というのはこの世界で大体の方が相手をするのに尻込みするような公的機関ということでご想像にお任せします。
そして、それを結果として自分でも期待値以上にこなすことができました。一番分かり易かったのはお相手の反応です。こういう反応をしたら周りの誰が見ても、お相手に対し私が全く問題なくかつ高いレベルで仕事をこなしたと分かる反応をこのお相手から得られたのです。先に書いた「相談した相手が納得して帰っていく。そして、その人に良い風が吹く」に近い感覚と申し上げます。
こうした試される機会を経て、自己採点として、私はしっかりコンサルティングができている、相手にしっかり納得させることができている、というさらなる自信を持つことができました(この試金石のくだりは固有名詞を一切使っていないですし、定量性に欠ける評価のため、何のことやらさっぱり分からないと思いますがご想像にお任せします。別の言い方をすれば私の単なる自己満足とも言えますが・・・)。
残るもう一つの試金石の状況についても、それと同等の感触を得ることができました。こうして日々の行動を自信に繋げていったのです。
さて、副業禁止が判明したあとに、仕事の場を、試す場やコンサルティングの場と捉えて、それを行動に移して、結果が伴ってきたことについては、それはそれで良かったのですが、いつまでこういうことを続けて、いつから営利コンサルタントになるの?(つまり今の会社と本当にサヨナラする)ということについて答えは出ていませんでした。
心の中で会社に見切りをつけたので、60歳定年まで居るつもりは全くなくなりましたが、副業ができない中でいつ独立するのか?を真剣に考えなければなりません。
いくら会社の中でコンサルティング(と私が勝手に称していること)がうまくいっていると言っても、会社の外でこれが通用するとは限りません。それを副業以外の何等かの方法で試す機会を模索しつつ、実力をさらにupさせて、実績を積んでいく必要があります。
これについては7月からとった行動のこともあり、当面回答を保留することにしました。
ここで、保留して立ち止まるのではなく、ここでも基本は「まずは行動すること」を継続していくことにしました。
(ちなみにこの社内でのコンサルティング活動は主に2021年6月から10月頃の話ですが、これまでブログには一切書いていないことです。また、現在も継続しています。)
2021年7月~11月
■出来事
・大学院入学検討 労働衛生コンサルタント合格後 010
・大学院入学決意、準備、勉強 労働衛生コンサルタント合格後 012(011はとび番)013、014、015、016、017
・入試終えての感想 労働衛生コンサルタント合格後 019
副業禁止が判明したことで、外の世界で営利コンサルタントとして試すことできなくなったので、数年前から興味を持っていた大学院への進学を検討することにしました。独立するまでの間を、コンサルタントとしての実力をさらにつける充電期間と位置付けて、体系的に深く学び、研究のできるコンサルタントの道を検討することにしたのです。
労働衛生に関して、今の私は、会社の中での実務を通じた労働衛生の経験と知識、それに、コンサルタント試験の勉強を通じた知識を足場として成り立っています。少し乱暴な言い方をすると、机上での学びではなく現場での学びで今を形作っているとも言えます。叩き上げとでも言いましょうか、そんなカッコ良い響きとは違うかもしれませんが、労働衛生に関する体系的な学習をしてこなかったことは事実です。
ですから、この辺りで一旦労働衛生に関する体系的な学びをしても良いだろうと思い、その手段として大学院で学ぶという道を検討することにしたのです。
勿論、体系的に学ぶだけではなく、それ以外のこともできるようになりたいという願望があります。例えば、労働衛生に関して研究的なアプローチのできるコンサルタントにもなりたいということや、教える技術を学ぶことなどです。
研究的アプローチというのは、要は自分で研究ができる素地を作りたいということです。元来は研究者の端くれからスタートした身なので、何事も研究的思考で物を見ています(と思い込んでいるだけかも・・・)。今でも、興味をそそられる労働衛生事案にぶつかったときには、それを研究材料として見ている私がいます(さらにそれを俯瞰している私も別に居ます)。
私が過去携わっていた研究とは異なり、労働衛生の研究はテーマによってはラボが無くても机上で進められます。メタアナライシスなどはその良い例です。JOHの文献を読んでいてもそのような研究事例が多いです。ですから、お馬鹿な私にもできるかもっ、と思っています。
また、教える・伝える技術というのは、現在、とても注目していることです。私は労働衛生コンサルタントですが、コンサルティングそのものについては素人です。上述の通り、社内でコンサルティング(と称したこと)を経験と知識に基づいてやっている(つもり)ですが、それは素人が基本を知らずに勝手気ままにやっているのです。
このコンサルティングと称したことをやっていて思うのは、コンサルティングを成功させるには知識に裏打ちされた経験は最低限必要なのでしょうけれど、やっぱり、相手に「教える・伝える・理解させる・納得させる」技術が必要ではないのかなと思えるようになりました。その点も大学院で学びたいなと思った動機の一つです。
ここまで決めるとあとは行動するのみです。
やりたいことをベースにいくつかの大学にターゲットを絞り、情報収集を行いました。そして、第一候補と決めた大学にいきなり電話をかけ「大学院に入学させて下さい」と、こちらの希望を単刀直入に伝えたのです。
今から思うとずいぶん大胆だったと思います。電話のお相手は大学のその関係の部署のそれなりのお立場だったと思いますが、少し驚いておられました。ただ、熱っぽく語ったのが良かったのかどうかは不明ですが、事情を察していただき、重要なことを教えていただいたのです。
それは、その大学の大学院への入学願書の提出期日が迫っていたことです。なので、急げとは言われず、よく熟慮した上で入学願書の提出手続きを進めてはとアドバイスいただきました。
まだ7月だし、時間も十分あるだろうと思い込んでいたのですが、この時に初めて提出期限が迫っていることに気付かされました、よく考えたら分かることなのに・・・(この辺りがお馬鹿な私、丸出しですよね。しっかり調べておけば分かることなのに・・・)。ですから、後から思えば、この時にすぐに行動して電話をかけて正解だったのです。
その後、大学側と折衝を重ね、入学願書を提出させてもらう方向で進められることになりました。願書自体の作成は面倒ですが、単なる事務手続きなので何とかなります。しかし、入学願書提出までに私には越えなければならない大きなハードルがあったのです。
そのハードルとは、入学願書提出前に、研究計画を立案し、事前に提出した上で研究分野の担当教授の了解を得ない限り願書を提出できないということでした。
言わば、この段階から選抜がはじまっているのです。大学側としては大学院の入学定員という枠の問題もありますし、研究の方向性があっていない者を受け入れるのはリスクでもあります。ですから、ここで振るいにかけようということです(恐らく)。
その大学に何のコネもなかったため、ゼロから、何をどう研究したいのか、どの研究分野にするのかを決めて、自らをアピールせねばなりません。
早速、研究計画の作成に取り掛かりました。ここでは単刀直入に、この時点でやりたいと思ったことを素直にA4用紙数枚にまとめました。ここまでは比較的すんなりだったのですが、問題はどの研究分野にするかでした。
その大学院の希望する学部には多数の研究分野がありそれぞれに担当の教授が居られます。研究分野を決めて、その担当教授の了解を得なければなりません。
私はその大学とはこれまで何の接点もありませんでしたから、研究分野についてはHP情報からしか伺い知ることしかできません。そのか細い情報を頼りに、私がやりたい研究内容と研究分野がマッチングするのか計りかねたのです。
なので、ここも素直に「どれにしたらいいの?教えて下さい」と大学側に聞いてみました。そうしたら、希望を複数挙げて下さいと言われました。これは、特定研究分野に志願者が偏らないようにとか、すでに願書提出を受け付けた研究分野は定員に達したためパスさせるとかの思惑が大学院側にあったものと想像します。あくまで推測の域を出ませんが・・・。
勿論、そのことは大人の事情で私も理解できることなので(中身はお馬鹿なお子ちゃまかもしれませんが・・・)、第3希望まで記載することにしたのですが、折角学ぶのですから、できたら希望する上位の研究分野で何とかならないかと思う訳です。
そこで、策を弄することにしました(中身はお馬鹿、頭の片隅だけ計略家・・・)。その策とは、入学願書類や研究計画の準備を進める中で、並行して大学側の経歴書に添付する詳細な職務経歴書(A4用紙約10頁)を準備して送るということです。大学の経歴書は1枚だけの形式のため、こんな形式ばったものでは自らのアピールはできないと思ったからです(と言っても大した経歴ではありませんが・・・)。
入学願書類の提出要領には提出すべきものの範囲は記載してあったのですが、他に追加で出してはいけないと書かれていなかったので職務経歴書を作成して出すことにしました。ただ、いきなりこんなものを出しても相手にされなかったら意味がないので、事前に電話で「こんなん作りましてんけど、出してもよろしゅうおます~❤(何で大阪弁&京都弁・・・)」と聞いて了解を得ていたのです(断れないようにYesと言わせるのは得意です・・・)。
そして、作成した職務経歴書を、研究計画、希望する研究分野と共に提出したのです。そうしたところ、この職務経歴書が予想外に良い印象を与えた模様で、これが功を奏したかは分かりませんが、結果的に希望した中の上位の研究分野の教授を紹介されることになりました。
コラム③ 職経歴書作成で職業人生を振り返る
作成した職務経歴書は、最終的にA4用紙で約10頁となりました。職務経歴書としてみた場合に、こんな長いものを誰が読むのだというくらい長いですよね・・・。それはさておき、この職務経歴書を作成した目的は大学に提出する経歴書に添付して色どりを出すためだったのですが、それ以上に、作成を通じて、私自身の職業人生をしっかり振り返ることができて良かったという効果がありました。
良かったと思えたことの一つにキャリアを整理し把握できたということが挙げられます。まず、時系列に過去に所属した部署を書いた上で、その時々にどんな業務に就いていたのか、そこでどんな実績を上げたのかを書き出していきました。
現在も続けていることは簡単に分かるのですが、大昔のことはさすがに思い出すだけでも大変でした。研究者時代の投稿論文や学会発表をまとめるのも苦労しましたが、これらはネットからでも検索できるためまだましな方で(漏れはあったと思いますが・・・)、本当に苦労したのは、様々に手掛けてきた社内研究実績です。コンプライアンスの観点からそのほとんどは公にできませんが、公にできるものについては差支えの無い範囲での一般表現に留めながら、昔を思い出しながら書き進め、何とかまとめることができました。
これらを書きながら振り返ることは、一つ一つキャリアを整理していくことに繋がり、結果、自分とは何者なのか、何を成した者なのかが自分でも分かってきました。
そうして振り返ったところ、労働衛生コンサルタント(労働衛生工学)のキャリアとしてはかなり特異な経歴の持ち主ではないか、そして、その中に実務として化学物質の毒性評価研究に従事したことが超ストロングポイントになるなと改めて感じ入るに至りました。
その他の苦労話として、時系列に所属した部署を書いていく作業が結構大変でした。私は新卒で入社した会社に約30年間ずっと居続けています。最初に研究職場で職業人生の約半分を過ごしましたが、その後は研究管理をする間接部門の部署に異動しました。その後は、その間接部門内や、研究との掛け持ちをやった時期があったり、間接部門だけでも3つの部署の掛け持ちの時期もあったりで、結構な回数の異動を経験しています。ですから、その異動時期の正確な把握が大変な作業でした。
同一社内のことだから、簡単に分かるだろうというのは甘い考えで、こういうことを会社人が都度まとめるなんてことは普通やらないと思います。人事のような部署では正確に把握しているのかもしれませんが、今回の目的のためにそれをくださいとは言えませんから・・・。会社人として今回のように職務経歴を作るのは、普通は転職する時なのだろうなと思いを馳せながら作業を進めました。
そして、この職務経歴書作成に要した時間は約1週間だったと思います。ずっとこればっかりやっていた訳ではありませんが、ちょうど2021年のお盆休みの時期でしたから、その時間に集中して作業することができました。作成に苦労しましたが、一旦作ってしまうと楽なものです。今後はこれに経歴をONしていけばいいのですから。
コラム冒頭にも書いた通り、この職務経歴書の作成を通じて、私自身の職業人生をしっかり振り返ることができて良かったと思います。単に記憶というだけでなく、記録として残すことができたのが大きかったと思います。
先に述べたように心の中では会社に見切りをつけたので、もし会社を辞めることになっても、この職務経歴書があれば慌てることはないなとも思いました。
さて、いよいよ大学から紹介された担当教授との入学願書提出のための折衝をせねばなりません。
電子メールでコンタクトを取り、web面談の予約を取り付け、数日後にweb面談とあいなりました。面談の詳細は諸事情から書けませんが、無事終了し、願書提出の了解を取り付けることができました。この時、願書提出締め切りの11日前でした(汗)。
コラム④ web面談
この時のweb面談について、討論の中身ではなく、web面談という行為自体について振り返ってみたいと思います。
まず、教授との面談がweb形式になったことについては、時間と手間のことを考えると私には良かったのです。当初は、対面の面談を要求されても致し方ないと思っていました。もしそうなったら業務調整を真剣に考えねばなりません。というのもその大学はかなり遠方であるためです。また、この時期にちょうど調整がつきにくく、代役の効かない仕事を集中的にやっていたので、正直対面と言われていたら非常にまずかったのです。
しかし、当たり前のようにweb面談をしましょうと言っていただき正直ほっとしました。今でこそZoomやTeamsでのwebミーティングが当たり前になりましたが、きっとこれまでは対面だったのだろうと思います。やはり対面の方が相手のことがよく分かりますからね。
Web面談となったことは良かったのですが、今度はwebを通じて、自分自身をアピールせねばなりません。学ぶと言っても、最初に研究計画ありきで、自分が何を研究したいのかが問われ、そのことと教授の指導範囲と方向性がマッチしていなければなりません。
その観点では短い時間でしたがそれなりに準備はできたかなと思いました。このような私自身の中身のことは勿論ですが、相手に与える印象も大事なので、普段は外見を特に意識しない私も、この時ばかりはカメラ写りと服装を少しだけ意識しました。また、後で知ったのですが、Zoomには背景ぼかしという機能があったのですね。部屋の片づけを一生懸命やらなくても良かったのに・・・。
Web面談は結果的に1.5時間ぐらいで終わりました。今回のweb面談の私のミッションは願書提出を了解してもらうことです。一方、教授からしてみると、この人を2年間指導できると思ってもらうこと、になります。教授と話し始めて、その辺りの不安はすぐに無くなり、私にしてもこの教授とならうまくいくかもと思えたのでした。そして、終わってみればあっと言う間でしたが、とても良い体験をさせていただいたと思います。
後日談になりますが、このweb面談から約2か月後にこの担当教授と直にお会いすることになりました。大学院入学試験の口述試験時に、教授は試験官のお一人となっていたからです。試験後に立ち話をしましたが、和やかな雰囲気の中、「実際に会ってみると印象が全然違いますね」と言われたのです。何がどう違ったのか、この時は教授のこの後の予定が立て込んでいるということでお聞きするとはできませんでしたが、まさか、私がお馬鹿なことを見破られたのかもしれません・・・(やばい・・・汗)。
さてさて、担当教授から入学願書提出の了解を取り付けたので、その後はスピードとの勝負です。
入学願書類の提出は単なる事務手続きなのですが、約10種類もの書類を整えて提出せねばなりません。紙に必要事項を書けば良いものから、出身校の卒業証明書も当然必要ですからその入手手続きだとか、事前に済ませられるものは済ませ、面談が終わらないと決定しない記入項目と入学試験の入金処理だけを残していたのです。
面談が無事終了するや否か、最後に残しておいた細かい手続きを完了し、面談当日中に必要書類を郵送する手続きを無事終えることができました。
あ~何とか期限に間に合った~と安堵したものの、これは単に入学試験に向けてのスタートラインに立ったに過ぎません。
勝負はここからです。
大学院への入学試験が10月に待ち構えているのです。大学院の受入れ定員は決まっていますから、それ以上に受験生が居れば試験で落されることになります。その辺りのことは全く情報がないため、危機感をもって受験に臨まなくてはなりませんでした。
ちなみに、入学試験は英語の筆記試験と口述試験です(どの大学院もこのパターンが多いようです)。そこで、入学手続きの当初から英語の勉強を始めていました。
英語の試験では、論文の和訳が課せられるということを事前に聞いていました(これも多いパターンのようです)。まずはこのハードルを乗り越える必要がありますが、さらに、無事入学できたとしても講義も受け答えも全て英語という授業が待ち受けていることも事前の情報収集で分かっていました(ん~非常にまずい・・・)。
私は、研究職場にいる時には英語を使う機会が幾度となくありましたが、英語は不得手でした。研究管理をする間接部門に異動後は、英語から解放されたと喜んだものです。そんな状況でしたから、とにかく実質的に英語から遠ざかって久しいのです。
でも、今後は英語が必要になる世界に自ら飛び込んでいくのです。普通なら、このことが憂鬱になるかもしれませんが、好きで飛び込むのですから嫌な訳はありません。むしろ、昔苦手だった英語を勉強できてhappyと思いました。苦手なものに正面から向きあって、うまくいけば克服して、使いこなせたらいいな、こんなチャンスないかも!! と、前向きに考えることができたのです(単なる楽天家のお馬鹿なだけとの説あり・・・)。
そこで、まずは、10月の大学院の入学試験で英語の論文和訳ができるように、基本的な文法学習のおさらいから始め、それが一通りできるようになって論文の和訳練習を重ねました。入学願書を提出した8月下旬から大学院の入学試験が実施される10月までは英語に注力しました。
英語以外の試験科目として口述試験がありました。こちらは全く情報なしでしたので、何を聞かれるのか分かりませんでした。面接ではなくて口述試験なのです。単なる面接以上のことを聞かれるのだろう、きっと研究計画のことかな、なんて予想していました。
口述試験は労働衛生コンサルタントの口述試験以来、人生で2回目です。何を聞かれてもそれなりのことは答えられるという根拠のない自信があったので・・・、こちらは実質何も対策せずに試験に臨むことにしたのです。
2021年10月~11月
■出来事
・コンサルタント会 生涯研修のための受講 労働衛生コンサルタント合格後 020
・大学院入試合格 労働衛生コンサルタント合格後 021
そして、大学院の入試が行われました。このとき、約2年ぶりに新幹線に乗りました。コロナ禍のため出張が無かったためです。大学は住居地からは遠方となるため、前泊するために前日夜に新幹線で移動したのです。新幹線と宿の予約の準備は9月中に済ませていました。
「もし合格したら、この新幹線での往復を何回ぐらいすることになるのかな~」なんて思いながら、疲れた眼を休ませることにし、新幹線では瞑想していました。
そして、入学試験は無事終了し、約2週間後に合格通知を受け取ることができました。これで、目指そうとしていた次のステップに進むことができることになりました。
その後、入学の手続きを完了し、この時点で2022年4月からの2年間は社会人として勤務しつつ大学院で学ぶことが決まりました。
このように7月~11月上旬までは、大学院への入学対応一色となりました。
さて、10月の大学院の入試が終わった以降は、合格発表を待ちつつ、恐らく合格しているだろうと感じたので、次の動きを始めることにしました。
時間を少し遡りますが、入試準備をしながらも、その動きの一つして実施したのが、労働安全衛生コンサルタント会での称号使用許可を得るための対応です。具体的に言いますと、称号取得のためには当会の生涯研修制度に参加せねばなりません。それに参加するためには労働コンサルタント会登録時研修の受講が必要なのです。
この登録時研修が10月7日に実施されました。なんと平日のピンポイント開催で、しかも9~17時にかけてみっちりプログラムが予定されていました。会社の重要行事とバッティングしていたらアウトでしたよ、ホント。というのも、登録時研修は1年に1回のみの開催なので、今回を逃したら翌年まで待たねばなりません。当然ながら会社はお休みしてオンラインで参加しました。
この労働安全衛生コンサルタント会で私が得ることができる称号は、「COH労働衛生コンサルタント(Certified Occupational Health Consultant)」となります。このような公的なギルドに所属し、一定要件をクリアすることで得られる称号は一つの能力証明となるだけでなく、実績としても評価されるものと期待しての対応です。
そして、大学院入試以降の動きとしては、入学まで時間があるので、英語を授業で使えるレベルにするべく、英語学習を日常の学びの一環として継続することにしました。
英語学習法としては森沢洋介さんという方が出版された本をベースに学習をしています。目新しい方法ではなく、インプットしてはアウトプットすることを繰り返す学習法です。これならお馬鹿な私でもできそうだなと思えたのです。
英語は、一朝一夕には成果が出ませんが、続けないと成果は出ません。なので、毎日習慣化して継続学習できるように、英語学習は通勤時間でやることにしました。
2021年12月
■出来事
・TOEIC受験 労働衛生コンサルタント合格後 022
・TOEIC受験結果 労働衛生コンサルタント合格後 023
そして、英語学習の成果を測定するためにTOEICを約20年ぶりに受験しました。結果は当初この時期の成果として目標とした点数よりは低かったのですが、思いのほか悪くなく、少しだけ感触を得たように思いました。
ということで、ここまでが2021年の記録になります。
まとめ
2021年を振り返った時(労働衛生コンサルタント試験関係を除く)に、大きな気づき、事象、転機と呼べるものを以下に3つ列挙しました。
・会社を辞めても良いと思えたこと
会社に副業申請をした結果、副業はダメですと言われたときにこのように思うに至りました。新卒入社後、一貫して勤めてきた私の約30年の同一会社でのキャリアの中で、とてもとてもとても大きな出来事でした。ただ、これは決してネガティブな感情ではなく、いずれコンサルタントとして独立するためには、早めにこのような心境に到達することができて良かったと思いました(@2021年6月)。
・常にコンサルティングするのだという発想への転換
副業ができないことになり、営利コンサルタント業を少しずつ試しながら進めていくという戦略を取れなくなったため、会社の中で勝手にコンサルティングをすればいいじゃないの、という気持ちに発想を転換したことです。これは、労働衛生コンサルタント試験の口述試験直前(2021年1月11日、詳細は合格体験記をご参照下さい)に開眼した意識に通じるものであり、現状を変えるのは他者ではなく自分自身であり「自分の気持ち一つで何とでもなる」ということに改めて気づかされました(@2021年6月)。
・大学院への入学が決まったこと
社内で勝手にコンサルティングをするのだという発想に転換したのは良かったのですが、営利コンサルタントとしてのデビューを先延ばしにしたことで、少し時間ができたので大学院で学ぶ道を選ぶことを決意し、無事、入学できることになりました。(@2021年11月)